有名な中国のことわざである。

本当の意味(かどうかはわからないが)は、政治的なニュアンスが含まれているようである。

しかし、一般に広まっているのは次のような好意的な意味だ。

水を飲むとき、その水が自分の口に運ばれるまでには、多くの人の努力があったはず。
その先人たちのことを忘れるな、と。そのような意味で使われることが多い。

忘れられる人々

井戸を掘った人が忘れられてしまうのは、水が飲める生活が「当たり前」になるからだ。

逆に言うと「当たり前」になってしまったとき、そのきっかけとなった人は忘れられてしまうことが多い。

例えば、友人関係。
幼い頃、こんな経験はなかっただろうか。

A君とB君とよく遊んでいた自分がきっかけとなって、2人が知り合ったとしよう。
その後、3人で遊ぶこともあるけど、その2人で遊ぶことだってある。
自分の友人同士が仲良くなることは、とても喜ばしいことだ。

しかしそれが「当たり前」になってくると、自分がきっかけだったことなど、すっかり忘れられてしまうことがある。
自分がいつの間にか蚊帳の外にいることに気付いたときの寂しさは、まるで仲間外れにされたような気分と同じだ。

井戸を掘った人はどうすればいいのか

そのようなとき、自分を排除したA君やB君を責めてしまいたくなる。
ところが、それは何の意味もない。
意味がないどころか、面倒くさい奴だと思われてますます離れていくだけである。

井戸だって、そうだろう。
水を飲むたびに「井戸を掘った俺のことを思い出せ」と言われたら、たまったものではない。
せっかくの美味しい水が、台無しである。

だから、井戸を掘った人は、水を飲む人の幸せを願えばいいのだ。
そして、また新しい井戸を掘ればいい。
他の人には掘ることができない、井戸を。

掘った人のことを忘れたくても忘れられない井戸。
そもそも、そういう井戸を掘らないほうが悪いのだ。

負け惜しみとか嫌味ではなく、本当にそう思う。


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